- ■ リクエストシステムとは
- ミュージアムシアターの特長は一期一会のライブ上演です。皆様をご案内するナビゲータや上演する回によってご紹介する内容や場面が変わります。
最新作「洛中洛外図屏風 舟木本」では、6つのシナリオから観たいシナリオを2つ、ご来場いただいたお客様に選んでいただくリクエストシステムを期間限定(2010/1/8(金)~2010/2/28(日))で実施。訪れるたびに色々なストーリーをお楽しみいただけます。 

一般的な「洛中洛外図」には、季節ごとの京都の風景が描かれます。
「舟木本」も例外ではなく、右から左に視線を移すにつれ、時間の流れを感じさせる季節の風物詩が描かれています。
春の舞台は、豊臣秀吉をまつる豊国廟。桜の名所として知られる豊国廟には、花見に興じる多くの人々が描かれています。
門の前では、花見の客相手に茶を売る二人の男。
木の間に幕を張り、宴の席を楽しむ一団も描かれています。

- ▲春 桜の名所として知られた豊国廟

- ▲初夏 田に水をいれて畑を耕す人々
鴨川の川原に描かれるのは、初夏の風景。
水を入れ田を耕し、牛に馬鍬を引かせ、苗を植える男たち。
あぜ道では、子供が大人たちの仕事ぶりを見守っています。
京都の夏といえば、祇園祭。
威勢のよい町の人々が、神輿をかついで通りを進みます。
その先には、大きくふくらんだ母衣を背負う鎧武者。
隣には、傘を掲げる人や、笛を吹き、太鼓を叩きながら舞い踊る一団の姿が描かれ、躍動感あふれる祭の喧騒が、聞こえてくるようです。

- ▲夏 祇園祭
「舟木本」にはたくさんの神社仏閣が描かれています。
その中でも長い間人々の信仰を集めてきた、3つのお寺をご紹介します。
「舟木本」は、東寺の五重塔から眺めた京都の町が描かれていると言われていまが、その東寺の堂内の様子も、「舟木本」には描かれています。
多くの僧侶たちがお経を読み、信者がところせましと並んで手を合わせる東寺は、弘法大師の寺として、京都の人々に愛されてきました。

- ▲中央に描かれた東寺

- ▲西本願寺
西本願寺に参拝する人々には、正装した貴族や、かしこまった格好をした人々の姿が目立ちます。
ひときわ立派な身なりの一団が進む先は、浄土真宗の開祖、親鸞聖人の像を安置する「御影堂」。
本願寺は親鸞聖人の遺骨をおさめたのが始まりといわれており、以来、聖人の教えを伝え続けてきました。
六角堂は聖徳太子が創建したお堂ということで知られています。
「舟木本」を見ると、幅広い身分の人々の信仰を集めていたことがうかがえます。
門の前に座り込む庶民的な子どもたちの姿もあれば、立派な格好をした武士の姿もあります。
弘法大師、親鸞聖人、聖徳太子。
偉大な仏教の指導者たちゆかりの寺は、京都の人々の厚い信仰によって支えられ、守られてきたのです。

- ▲聖徳太子が創建したことで有名な六角堂
「舟木本」に描かれた京都の名所から、特に有名な場所を3つご紹介しています。
山の斜面にせり出すように作られた本堂の舞台で知られる清水寺。
清水寺は、清少納言の『枕草子』にも「さわがしきもの」として紹介されています。
現在でも多くの観光客が訪れる清水寺ですが、平安の時代から今日に至るまで、絶えず人々の人気を集めていたことがうかがえます。

- ▲「清水の舞台」で知られる清水寺

- ▲祗園さんの名で親しまれている八坂神社
現在では「祗園さん」の名で親しまれている八坂神社ですが、「舟木本」に描かれた鳥居の扁額には「感神院」と書かれています。
明治時代の廃仏毀釈によって「八坂神社」と名を改められるまで、「祇園感神院」と呼ばれていたためです。
四条河原には、見世物小屋が立ち並んでいます。
鶴丸紋を掲げた幕があるのは、歌舞伎小屋。太刀をかついだ歌舞伎者が見得を切ります。
こうした芝居小屋の名残として、今も四条大橋の東には、歌舞伎劇場の京都(きょうと)四条(しじょう)南座(みなみざ)があります。
名所のにぎわいは、今も昔も変わらないようです。

- ▲歌舞伎小屋
屏風の右側には、豊臣家とゆかりの深い建物が描かれています。
太閤となった秀吉は、東大寺をしのぐ大仏を造ろうと思い立ち、方広寺に大仏殿を建立します。
完成した大仏は、18メートルを超える大きさだったと伝えられています。
大仏殿はのちに地震により倒壊。
秀吉の死後は、息子 秀頼によって再建が試みられます。
しかし、大仏殿再建には巨万の費用を必要とし、豊臣家を弱体化させる一因となりました。

- ▲秀吉が建立した大仏殿

- ▲「国家安康・君臣豊楽」の鐘
大仏殿のすぐ下には、有名な「国家安康・君臣豊楽」の鐘が見えます。
徳川家康は、秀頼が鐘に刻んだ言葉が、徳川家に対する呪いの言葉だと言いがかりをつけました。
この出来事をきっかけに「大坂冬の陣」が起こり、豊臣家は滅びることとなりました。
大仏殿の裏手には「豊国定舞台」があり、能が演じられています。
秀吉は自らも能を好んで演じ、また権力者としても能文化を積極的に庇護しました。
秀吉の死後も、ここ豊国定舞台では能が奉納されていましたが、豊臣家の滅亡とともに、終わりを告げます。
屏風の右側の広い範囲を占める方広寺の一角には、一介の農民から天下人へと登りつめた「戦国一の出世頭」の夢の跡が描かれているのです。

- ▲秀吉が設置した「豊国定舞台」
「舟木本」には、京都を訪れた異国人の姿も描かれています。
方広寺の境内には、大仏殿を見物する、三人の異国人が描かれています。
東インド会社のリチャード・コックスは大仏殿を見物し、「その大きさと細工の素晴らしさで、私がこれまで日本で見たうち、最も壮大な作品である」と、その感想を日記に記しています。

- ▲大仏殿で見物をする三人の異国人

- ▲イギリス商館長リチャード・コックスが
訪れた三十三間堂
三十三間堂にも、コックスは訪れています。
「中央に置かれた大仏からは無数の腕が出ていて、その両脇には3,333体の黄金の仏像が立ち並ぶ」
観音は33の姿に変化すると言われ、実際にお堂に置かれていたのは1001体の観音像。1,001体の観音像は、33,033体に相当します。
コックスはこの話を聞いて、仏像の数を勘違いしたのかもしれません。
洛中を南北に走る寺町通りの真ん中にも、異国風の一団が描かれています。
マントを羽織った口ひげの男、大きな日傘を差し出す召使い、二匹の犬。
武士たちが守っているのは、彼らが重要人物だからでしょうか。
イギリス商館の異国人たちは、幕府との取引のため、頻繁に京都や大坂を訪れていました。
「舟木本」に描かれた異国風の人物たちも、そういった異国人の一人なのかもしれません。

- ▲異国人風の一団
江戸時代の京都は、最先端の流行の発信地でした。
通り沿いに並ぶお店に注目して、京都の活発な商いの様子をご紹介します。
清水寺から西にのびる五条通には、様々な日用品を扱う店が並び、職人たちが腕をふるっています。
掛軸や巻物を売る店。
スズで徳利や茶壺などを作る、スズ師。
本屋の入口からは、看板娘が外の様子を伺っています。

- ▲五条通の掛軸などを売る店、スズ師、本屋

- ▲五条新町の漆器屋、扇屋
通りをはさんだ五条新町には、漆器屋、扇屋があります。
扇屋は女性の職業であったと言われ、この扇屋で働いているのも、やはり女性のようです。
店先で働く職人たちの姿から、ものづくりの町、京都の姿を垣間見ることができます。
下立売通りには、呉服屋が集まっています。
中央の店先の暖簾に描かれているのは、雁金紋。
尾形光琳の実家として知られる「雁金屋」は江戸時代初期に栄えた呉服屋です。
店先の繁盛している様子を見ると、もしかしたら、この店が「雁金屋」なのかもしれません。
このように最先端の流行を発信し続けてきた京都。
そのような京都があるのも、職人たちの技と活発な商いが町に息づいていたからなのではないでしょうか。

- ▲呉服屋の集まる下立売通


